2013年7月24日水曜日

127.(9.10更新) インド6日目から。ブッダガヤの日本寺とマハボディ寺院


ブッダガヤーにはチベットやタイなど、仏教が盛んな国が各国のお寺を立てています。
もちろん日本のお寺も。
印度山日本寺 』という仏教の宗派を超えて建てられたお寺があります。

私は前回のインド旅で、サールナートという場所に行った時にそこにある日本のお寺で、一緒に読経をさせていただきました。
その体験がとても良く、ここでもできないかと調べると坐禅ができるとのこと。

近くに宿坊もあるとのことだったので、修行体験もできるのかと思って行ってみました。

インドには『 ヴィパッサナ瞑想 』という、10日間、外の世界とは一切関係を発って瞑想し続けるものがあります。
興味はあったんですが、妻はさすがに10日間も瞑想だけは厳しいということで止めました。
なのでどこかで瞑想などを少しだけでも出来たらいいなと思っていたんです。

宿坊は、『 仏心寺 』というお寺のものでした。
ここの住職さんが数週間前に日本に帰られたということで詳細は分かりませんでしたが、今は宿坊に泊まっている人もいませんでした。
宿坊自体はゲストハウスの様で、ダブルルームで500INR(1INR≒1.68円)
安いと思っていたんですが、今滞在している宿の2倍でした(苦笑)
今回はご縁が無かったですね。
道路に出ていた仏心寺の案内看板
本堂
宿坊



肝心の日本寺は、厳かな雰囲気でとても気持ちが落ち着きました。


夕方5時に若い日本人の住職さんが表れてお経を読み始めます。
坐禅参加者は基本的にはそのお経の時間は座っています。
読経の冊子があったので、私はそれを見たり、たまに雰囲気だけでもと、一緒に読んだりしていました。
読経は20分ほど。
その後、住職さんが坐禅の説明をしてくれて、一緒に坐禅します。

住職さんが坐禅指導
お経の冊子。日本語と英語

坐禅は20分ほど。

・・・ はい、眠りました。

なんであんなに気持良く、眠りに落ちれるのかわからないんですが、坐禅をすると気持よく眠れます。
しかも短時間でもスッキリ(笑)
次の日も来れたんですが、この日も寝てしまいました。


坐禅が終わると、表に出て参加した日本人や住職さんと話をしました。
住職はなんと26歳。
修行していたお寺の住職が日本寺建立の中心人物で御縁を感じたとのことでした。
数年前、インドでバックパッカーをしたようです。
任期は2年。今は半年が過ぎたところなので、まだしばらくはこのお寺にいるようです。
赴任希望は任意なので、住職が複数人いるときや、不在の時もあるとのこと。
お逢いできて良かったです。


ブッダガヤーの一番有名な場所は、マハボディ寺院。
ブッダが菩提樹の樹の下で悟りを開いた場所です。
その後の紀元前3世紀にアショーカ王が寺院を建てました。

ブッダガヤーについて3日目にやっとここへ来ました。
街の中心部にあるんですが、2日目も3日目もここを通り過ぎて日本寺へ。
3日目の夕方、日本寺での坐禅を終えて行きました。

実は、先月末頃、このマハボディ寺院や近くの大仏などいくつかの場所に爆弾が仕掛けられました。
爆弾テロとして大きなニュースにもなりました。
被害は大きくなかったんですが、警備が厳重になりました。

そのため、マハボディ寺院の中にはカメラなど電子機器の類は持ち込めなくなりました。

マハボディ寺院の入り口付近にはびっしりと屋台が出ていたんですが、それもかなり規制されていて、時々、警察と店主が言い争いをしていました。

写真が撮れなかったのは凄く残念でしたが、初めて入ったマハボディ寺院はとても神聖な雰囲気でした。

敷地内には菩提樹以外にも木や沢山の祠があり、色々な場所で祈りが奉げられていました。


たまたまお祈りの時間に着いたので、寺院の中心部では沢山の僧侶がお経をあげていました。
コルカタのマザーハウスのミサの時も感じましたが、たくさんの人たちが祈る姿にはものすごいエネルギーを感じました。

個人に重点が置かれた世の中で、忙しく自分のことばかりを考えていた生活を振り返ると、祈りを奉げている人達の姿にとても尊いものを感じました。


寺院の入り口のちょうど反対側に菩提樹があります。
さすがにお釈迦様が悟りを開いた時の菩提樹ではありませんが、その所縁があるようです。
庭に落ちている葉っぱをお守りに持って帰る人もいました。

この菩提樹周辺でもたくさんの人が祈っていました。
袈裟を来ている人はもちろん、そうでない人たちも。



インドでは仏教はヒンドゥ教に取り込まれているようです。
釈迦はビシュヌ神の化身なんだとか。
初めは驚きましたが、日本もある意味、神道の中に仏教を取り込んだようなものかなと、少し納得。
(仏教は仏教で、ヒンドゥ教の神様を取り込んでいるようです。)
なのでヒンドゥ教の人たちもたくさん来ていました。
ものすごく大勢の人たちがオレンジや黄色の服を着ていたので、何かわからなかった私たちは「オレンジマン」と呼んでいました。男性しか着ていなかったので。



帰る頃にはすっかり暗くなり、ライトアップされてました

日本のお寺とは似ても似つかないマハボディ寺院。

日本は中国から仏教を輸入しました。
日本でも独自の取り入れ方や考え方をされ、現在はたくさんの宗派があります。

でも多くの人はお経をあげられません。
文明が進んだから宗教に頼らなくてよくなったのももちろんあるでしょう。
でも、お経が中国の読み方そのままで、読みにくいし理解しにくいっていうのも大きな理由ではないかなとも思います。

まず言葉自体が身近ではないんですよね。

ここに来たら、なんだか単純に、お経っていうものをあげたくなりました。

日本のエライ人たちが集まって、日本語のお経を作ってくれないかなぁ・・・

2013年7月22日月曜日

126.(9.10更新)インド5日目。ブッダ覚醒の地ブッダガヤへ


日本人は無宗教だと言われていますし、そう思っている人はたくさんいますが、
私が個人的に、多くの日本人は神道と仏教のミックスの信仰をもっているよなと思っています。

「いただきます」や「ごちそうさまでした」、神頼みや「ありがとうございます」などは神道だし、初詣や願掛けなど、神社へは多くの人が行っています。
多くの人のお墓は寺院のが関係する墓地にありますし、法事は仏教式であげる家庭が多いですよね。

私ももちろんその一人です。

誰かに「宗教は?」と聞かれると、2つ答えます。
神道は知らない人も多いので仏教だけ伝える時もあります。



インドは仏教発祥の地
中でもブッダガヤーは仏教の創設者ブッダが覚醒した土地です。

コルカタとガンジス川で有名なベナレスの間にあります。
私たちの次の目的地はここ、ブッダガヤーです。


まずは電車でガヤーという駅まで。
駅の構内。早朝にもかかわらずすごい人
ホームには誰でも入れます。電車に入って物を売る人も
十両以上連結している電車。とにかく長い。北インドでは一般的!?

驚いたことに、今回の列車は出発も到着もほぼオンタイムで遅延がありませんでした。
ここ数年、インドの電車のシステムが良くなり、昔よりもだいぶ遅れる確率は少なくなってきているようです。
(それでもやはり何本も数時間単位での遅れはあるようですが)


ガヤーからブッダガヤーまではトゥクトゥクで移動します。

ガヤーの駅から少し離れた場所へ移動し、昼食を済ませ、流しのトゥクトゥクを探します。
少し離れたくらいだとまだまだ溢れるほど人がいて、何人ものトゥクトゥクドライバーが一斉に声を掛けてきます。
今回はガヤーからブッダガヤー(マハボディ寺院 Mahabodhi Temple)まで二人で100INR(ルピー)1INR≒1.68円。

この値段だと貸切はできず、乗り合いでしたが、後ろの席は私たちだけで結構快適でした。
インド人たちと同じように乗り合いだと、一人20INRほどらしいです。でも1台に8~10人くらい乗ります。
前には運転手も含めて5人乗り

ブッダガヤーの外壁のような門に着くと「ここからはトゥクトゥクは入れない」と言われました。


出ました。初めに行ってた場所と違う場所に降ろされる戦法。

そして待ってたかのようにサイクルリクシャーやバイクタクシーの人が話しかけてきます。


「初めにマハボディ寺院ってそっちも言ったでしょう!」
と何度もドライバーと話すと、「OK]と、道路ではなく、ものすごいデコボコ道(?)や空地を進みだしました。

そして門からある程度離れたところで道に戻りました。


その門さえ通り抜ければいいんかいっ!



ものの数分でブッダガヤー中心部のマハボディ寺院に着きました。

200ルピー。門からこっちは別料金だ」

と言われます。はい、出ました。割増料金。
旅行者からは搾り取れるだけ搾り取ろうとしてきますね~。

もちろんこちらは100INRのみしか払わず。
それでも高いんですけどね。
強気でいかないとインド人に飲み込まれてしまいます。


目的地に着いたら、続いては宿を探さねばなりません。

ガイドブックを見て、だいたいの目星を付けてから移動開始。
思っていた場所はコンクリート道路が終わって、土のデコボコ道の方。
途中に比較的新しそうな宿も数件建っていましたし、建設中の建物もありました。

その中の1件の人が声を掛けてきました。

とりあえず中を見せてもらうと、築3年とのことで新しく、値段もツイン・ファンのみ・シャワー、トイレ付きで400INRと安かったのでここで。

と思ったんですが、手続きに時間がかかり、待っている間に他のところを見に行くと、同じような条件で相場が300INR程。
その中の1件と交渉し、連泊で1泊250INRになったので移動しました。

 ブッダガヤーの安宿
 『 RAHUL Guest House 』
  250INR
 ツイン。ファンのみ。Wi-Fi有り。
 お湯シャワー。トイレ。石鹸。

ここ、ブッダガヤーは停電がとにかく酷い。
数秒おきに停電することが何度もありました。
なので、ホテルやレストランには発電機がたいてい設置してあり、最低限の明かりはつくようになっていました。
宿ではファンも止まるため、停電だと暑かったです。
Wi-Fiも遅い(インド標準)し、停電でよく切れるのであまり使い物になりませんでした。
Wi-Fi環境は停電のため、どこも一緒でしたが、レストランなどよりは宿の方が快適でした。


さて、ブッダガヤーには日本寺もあるようなので明日行ってきます!

2013年7月21日日曜日

125.(9.9更新) インド3日目から。忘れられないマザーハウスでのボランティア


この2日間は私にとって忘れられない体験になりました。

すごく色々なことを考えさせられました。



まずは現実的に早朝から宿の移動
荷物だけ先に置かせてもらいました。

 『 Ashreen Guest House 』
  995INR
 エアコン。お湯シャワー。Wi-Fi無し。
 この近辺の安めな宿の中では部屋は清潔。おススメです!

そしてMさんと5:30に待ち合わせて一緒にマザーハウスまで歩きます。
朝は人も少なくて歩きやすい。
それでもチャイ屋さんにはたくさんの人が集まっていたり、井戸で沐浴や洗濯をしている人がいたり、お店の準備をしていたりと、すでに人々の生活は始まっていました。


マザーハウスには6時ギリギリに着きました。
シスターたちの個人的なお祈りは5時くらいから始まっているらしく、すでにたくさんのシスターがいました。
もちろんボランティアの人たちも。

カトリックのミサは今までほとんど見る機会が無かったんですが、プロテスタントのフィリピンのミサとはかなり違って(国が違うので当たり前かもしれませんが)、厳格な雰囲気でした。
決して厳格だから良いとか悪いとかという話では無く、単純にそう感じました。

聖歌の合唱や聖書の唱和など、集団で一つのことを行うことってすごいエネルギーを感じます。
それを自ら進んで行う姿に、宗教意識の低い私は、羨ましさも感じました。


ミサの最後には、司祭さんからパンや祝福が送られる時間があります。
希望する人は列に並びます。
パンはキリストの一部という意味があるらしく、カトリック教徒以外は受け取ってはいけません。
もし司祭さんからの祝福を受けたければ、胸のあたりに手をクロス(パンを受取らないサイン)していると、司祭さんが額に手を当てて祝福を授けてくれます。
私たちも初日だけ受けました(好奇心で)。

ミサが終わり、6時頃から朝食が配られます。
朝食と言っても、チャイ(インド式ミルクティー)、バナナ、食パンだけ。
量は各自の自由です。
これを食べるとこれからボランティアに行くぞと気合が入ります。
というよりも、私にとっては気合を入れなければならないタイミングです。

マザーハウスが抱える施設は、ほとんどがバスを利用して行くくらい距離が離れています。
私が配属された『プレムダン』も5INR(1INR≒1.68円。2013/7)かかります。
初日は集団を見つけられず、ちょうど紹介された台湾人と一緒にバスに乗り、2日目は初日に仲良くなった中国人や韓国人たちと日曜でバスが全然来なかったために歩きました。
線路の周りもゴミでいっぱい
スラムを抜けます
ここが『プレムダン』の入り口



ボランティア初日。

『プレムダン』は男女が別の施設で暮らしています。
ほとんどがお年寄りで、老人ホームの様でした。
ほとんどの人が身体障害や、知的障害を抱えていて、残りの人生をこの施設で過ごします。
一番最初にマザーテレサが人々の保護を始めた施設が『カーリーガート』、「死を待つ人の家」と呼ばれています。
その施設がいっぱいになり、さらに多くの人を収容できるようにと『プレムダン』は造られました。
(建物自体はインド人富豪の寄付)
『カーリーガート』は有名なだけにボランティア希望も多いようですが、この『プレムダン』は収容人数も多い上にボランティアは少なくていつも人手不足の様です。

この施設には、障害を抱えている人はもちろん、現在も怪我をしている人や病気を患っている人も多くいます。
肝炎患者や・・・・・・・・・

遅れて着いた私は、まずどこへ行って何をしていいか分からなかったので、近くにいたボランティアの人に声を掛けました。
ボランティアのための荷物を置く部屋にまずは案内され、そこにいた列を作った収容者達の身振り手振りの案内でその施設の2階へ。
待っていたのは洗濯物干しでした。

そして収容者たちが列を作っていたのは、洗濯物をバケツリレーで渡していたからでした。
ほとんど絞られずに上がってきた洗濯物は、施設で雇われていたインド人スタッフが軽く絞られ、それをボランティアが干していきます。
場所もスタッフから指示されたり、見て判断したり。
日本人ボランティアは誰もおらず、スペイン人がとても多かったです。ちょうど学生が集団で来ていたり、旅行者が来ていたりしていました。
それから韓国人の男性が1人と中国人が3人。同じアジア人として仲良くなりました。

洗濯物を干し終ると、続いて敷地内の清掃。薬品を入れた水をバケツで運び敷地内に撒き、溜まった水やゴミを排水溝に流します。

その後は各自、収容者とコミュニケーションを取れます。
ただ色々な収容者さんたちと話す人、
ボランティア同士で話している人、
リハビリの手伝いをする人、
色んなボランティアがいました。

そんな中で私はシスターから爪切りを依頼されました。

収容者さんたちと直接触れ合い、爪を切ります。
身体的にも知的にも障害を持った人がほとんど。
身体もあまり衛生的ではありません。
爪には垢がびっしりです。
垢の中には、大腸菌やら肝炎ウイルスやらが入っているかもしれません。

爪切りを見せながら、「誰か詰めの長い人はいますか?」とか言いながら、はっきり言って、内心はすっごくビビってました。
「やりたくない」「誰も声を掛けないでくれ」と心の中では思っていました。

でも、100名以上いる施設です。
思ったより沢山の人に声を掛けられました。

笑顔で対応しつつ、覚悟を決めました。

笑顔で対応しつつ、爪を切りだしました。

笑顔で対応しつつ、でも内心は色々なことを考えていました。


私は全く達観している人ではありません。
臨床心理士をしていますが、実際問題、人の心なんてほとんどわかりません。
人生の中でたくさん迷ったり後悔したりしています。

それでも時は過ぎていき、行動を求められたり、決断をしなければならなかったりすることは山ほどあります。
人生の中で教えていただいたこと、学んできたこと、自分の直感、それらに支えられながら自分らしくありたいと行動しています。
心理学もすごい役立ちます。



それにしても病気は嫌ですね。

その時は大丈夫でも、何日も経ってから影響が出るかもしれない。
特に日本の無菌状態で育った私なんて、インドの強烈な菌には太刀打ちできそうにありません。

収容者さん達の爪を切りつつ、握手をしつつ、肌を触れ合いつつ、
何かできることをしたいという気持ちと、
それ以上に強く、自分に何事も起きなければいいという気持ちを抱えつつ葛藤していました。


マザーテレサは、路上で病や飢えで死にかけた人に手を差し伸べ、抱えながら自分の施設へ運びました。

同じ状況が目の前で起こっていても、同じことを私はできません。


マザーテレサ、偉大すぎます。偉大すぎて胸が詰まります。

彼女の行動に多くの人が感化され、『神の愛の宣教者会』には何万人もの人が入会し、またボランティアも全国各地から毎年溢れるほどやってきます。
それほどの行為だったと思います。

私はたった2日間だけで、彼女が行ったことの爪の垢程度、いやそれよりももっと少ない程度しか分かっていません。
彼女がどれほど偉大なのかは正直計り知れません。

今回の旅の途中で、ここに来ることができて本当に良かったです。



今回のボランティアは、ボランティアをすること以外にも色々な経験ができました。

前述しましたが、初日に普段はあまり交流することのできない中国人や台湾人、韓国人たちと仲良くなれました。
日中関係や日韓関係について話をしたわけではないので、日本についてどう思っているかは分かりませんが、少なくとも同じ体験を共有しているアジアの仲間としての一体感はありました。
旅では国を超えて繋がることができるのがいいですね。

一緒にボランティアをしていた日本の方達とも仲良くなれました。
一人ひとり、自分なりの理由を持ってこの場所にやってきていました。
私たちのように旅の途中で寄った人や、定期的にここに来ている人、初めてでいきなり数週間も参加する人、いろいろです。
でもこの強烈な場所に来ているというだけで、多分お互いに尊敬し尊重し合っているんだと思います。
とても良い方たちに出逢うことができました。

ボランティア登録の時にお世話になったNさんとMさんとボランティア初日の夜に一緒に夕飯を食べたんですが、Nさんは各国のNGOやボランティア団体に登録し、有償で活動をしていて数々の逸話を聞かせてもらいました。
ボランティア的な活動を人生の中心に置くために、無償ではなく、それで生活ができるようにしているんです。
語学が堪能なうえにバイタリティもメチャクチャあり、自分の人生を考える上でも刺激を受けました。
ささやかな宴



もうすでにかなり長文になってしまったので、もうそろそろ終わりにしたいと思いますが、『プレムダン』の活動は書けばキリがないほど内容が凝縮していました。
ボランティアの休憩での安堵感と様々な国の人が集まる緊張感と楽しさ。
身体のリハビリテーションを手伝ったり。(操体法を織り交ぜながら手伝ったらとても喜んでくれて嬉しかったです)
食事の配膳の大変さ。100人以上いるので時間がかかります。身体が不自由な人が多いのでその配慮も。
食事中の要求も言葉が分からず上手くいかなかったり、それでも出来る限り笑顔で対応したり。


施設内はもちろん撮影禁止でしたが、強烈な体験だったため、その分記憶には刻銘に焼き付いています。その分いろいろ考えることができました。

この体験が今後の自分の人生にどう影響を与えるかは分かりませんが、あのタイの空港で出会えた彼に背中を押してもらう形で、この旅に加わった体験は忘れられないものになったことは間違いありません。

2013年7月19日金曜日

124.(9.2更新) インド2日目。インド人の詐欺手法とマザーハウスのボランティア登録


昨夜は、昨日のお店の出来事を色々振り返っていました。
やはり『 COTTAGE CRAFT 』での話は上手くいき過ぎています。
今日お店に行く前に、インターネットショップに行き、少し調べました。(20INR。1INR≒1.68円。2013/7/19)

そうしたら出るわ出るわ。日本語を話すインド人の詐欺事件の数々!

日本語を話せる9割以上は黒、つまり詐欺目的との情報。


確かに昨日、日本に住んだことがあるというインド人に何人か会いました。
日本人の奥さんがいるという人も数人。
このサダルストリート界隈のこんな狭いエリアに、ありえない確率です。

今、情報だけならインターネットでかなりのことを知ることができます。
もちろん住んでいなくても、あたかも住んでいたように振る舞うこともできるでしょう。

最低2か所程の情報を仕入れておけば、万が一相手が住んでいた所と自分が住んでいたという所が一緒でも切り替えることができます。
私たちも自分が住んでいない土地のことはほとんど知りません。
それっぽく日本語で話して、ぼろが出ても勘違いで済ませられます。

ホームページ上には沢山の日本人被害者がその被害状況を怒りと共に報告してくれています。
まずは事前に調べられればいいんですが、インド人たちも手口がかなり巧妙化・長期化していて、全てを警戒することが難しいのが現状です。
しかもインドでは携帯電話がとても普及しており、また通話料も安いらしく、しょっちゅう電話しています。
今は彼らの電話網がすごく発展しており、カモがいると、すぐに仲間を呼び、集団で騙しにかかるようです。
また離れた土地での血縁関係や交友関係も広いらしく、手を変え品を変え騙してきます。


私たちが出会ったB氏やKAN氏は本当に騙そうとしているのかは分かりませんでしたが、
怪しい言動があったのも確か。

基本的に話しには乗らないようにして、でもあと数日はコルカタに滞在したいので、変に目をつけられないように(これは妻の発案)適度に話を合わせておこうということになりました。

実際に、お店で待っていたはずのB氏が、私たちが宿を変わったことを見ていたりと、妻の心配した通り、動向をチェックされていたことがありました。
私はもうお店に行かなくてもいいんじゃないかとも思いましたが、変に関係を切るよりも良かったかもしれません。

結局今日の午前中にKAN氏は現れず、話はできなかったため、宿を教えてもらうことはできませんでしたが、B氏から「あの時ここに来ずに○○にいたのは何故だ」と言われた時に、紹介された宿に移らなくて良かったと思いました。

移っていたら身柄を確保されているようなもんですからね。

上手い話は警戒を怠らず、途中で諦めることも重要ですね。


今回の話が無くなり、今夜の宿を『Ashreen Guest House』にして移りました。
しかし入ってすぐに、ポタポタと変な音が…
エアコンから水が漏れていました。
ホテルの従業員ではどうすることもできず、業者を呼ぶから今日はその部屋に泊まることができないとのこと。
また他も満室だったため、1泊だけすぐ近くの宿に泊まることになりました。

『 AFRIDI INRERNATIONAL 』
  840INR
 エアコン。お湯シャワー。Wi-Fi無し。
 少し広いがカビ臭い。
 (1300INR以上の綺麗な部屋もアリ)


さて、今回のメインの目的、マザーハウス(Mother House)でのボランティア 】

ボランティアをするためには基本的にボランティアの登録が必要です。
(短期滞在者のために、当日朝に行けばもらえる1daypassもあります)

ボランティアの登録は月水金曜日の午後15:30から、マザーハウスではなく、その近くの施設『Shishu Bhavan(シュシュババン)』という建物で行われます。
ここはの孤児や貧民家庭の子ども達を収容する施設です。障害を持っている子と持っていない子に分かれています。
ここに隣接した建物の1階で登録が行われました。


私たちは場所が分からなかったのでマザーハウスに行き、シスターに聞いて辿り着きました。
『 Blessed Mother Teresa Missionaries of Charity Motherhouse 』
住所: 54A, Acharya Jagadish Chandra Bose Rd, Taltala, Kolkata, WB 700016


今日も世界各地から沢山の人たちがボランティア登録にやってきていました。
言語によって分けられていて、日本人用の説明もありました。
ボランティア登録のためのボランティアスタッフもいて、その方Nさんに説明を受けました。

マザーハウスが所有する施設は6つあり、ボランティアをする場所を1か所決めてシスターに面接時に伝えて、それが通ると決定になります。
有名な『死を待つ人の家』もありました。
私たちの第一希望は子どもたちの施設だったんですが、最低3日以上のボランティア日数が必要とのことで、それぞれの第2希望になりました。

私は『死を待つ人の家(カーリーガート)』では収容しきれない人たちのための施設『プレムダン』で、
妻は未成年・成年の女性のみの施設『シャンティダン』でボランティアすることになりました。

夜、Mさんを訪ねて今朝のお詫びをすると、
「全然構いませんよ。明日はどうしますか?」と明日のことを教えてくれました。
Mさんは毎日ボランティアの前、6:00から行われているマザーハウスでのミサにも参加していました。
私たちも参加してみたかったため御一緒することに。

さて、いよいよ明日からボランティアだ!

【おまけ写真・インドの路地】

2013年7月18日木曜日

123.(9.1更新) インド初日。2度目のインド亜大陸上陸。初めてのコルカタ


いよいよ着いてしまいました、インド亜大陸
亜大陸と呼ばれるくらい国土が大きい国です。

インドへ来る前は、南インドも行ってみたいと思っていました。
でも滞在は3週間ほど。
ガンジス川で有名なバラナシやタージマハルのあるアーグラなど定番の観光地も行ってみたかったので、今回南側は泣く泣く諦めました。

そして言わずと知れた人口大国。
良い人もたくさんいるはずなんですが、観光地ではやっぱり悪い噂をいっぱい聞きます。
13億人もいるから、そのうちの数%のインド人が観光客を狙っただけで、数千、数万の人になります。

私は大学4年生の夏、インドへ初めて来ました。
その時はバックパックを背負って1人で旅しました。
その当時は洪水が酷く、直前まで政府の渡航禁止令が出ていて、旅行中ほとんど日本人には会いませんでした。
日本人をカモにしていたインド人達に血眼になって声を掛けられ、いきなりインドの洗礼を受けました。
今になってはそれも(イイ)思い出です。
インドとネパールを合計3週間旅して、お腹は壊さなかったんですが、日本に帰国して気が緩んだのか、帰国後にお腹を下しました。(1日で治りました)

インドは呼ばれる人と呼ばれない人がいると言われますが、興味のある方は、一度行ってみた方が良いと思います。
日本にいたら想像もつかないことが日常にありふれています。


妻は今回インドは初めてで、かなり緊張気味です。
でもそれくらいでいいと思います。


コルカタの空港に無事飛行機が到着してからベルト装着マークが消える前からどんどん行動をし始めるインド人たち。
荷物受取所でも口論が始まりったり。
いきなりインドを感じさせてくれます。


コルカタはまだ朝の2時台。
深夜の移動は危険なので空港で朝を待ちます。
ちょうど場所を探している時に、出発ロビーで出会った日本人のA君と再会しました。
彼は4泊だけで手荷物のみだったので、荷物受取所には行く必要がありませんでした。
今夜の宿を取っているとのことでしたが、やはり深夜の移動が心配だったため空港で待機していたようです。
すでにプリペイドタクシーの券を購入していて、朝を待って一緒に移動しようと誘われました。
一緒に椅子を移動させて簡易ベッドを作り、数時間仮眠を取りました。
空港の中はとにかく寒い。冷房利き過ぎです。

5時を過ぎて明るくなったので移動開始。
タクシーはみんなレトロでかわいかったです。


サダルストリートという安宿が集まる有名な通りでタクシーを降り、A君は予約してある宿へ向かいます。
私たちはガイドブック片手に安宿を探します。
でも、まだ朝の6時。
開いてない宿もあります。

しかも朝からインド人は活動しています。
どこからともなく客引きのインド人が現れ、勝手に話しかけ、勝手に私たちが行こうとする宿へ先に行き、さも自分が連れてきたんだという感じ。


私たちが持っているガイドブックの情報は少し古いので、宿で確認するとどれも高くなっています。
しかも安いところは窓も無く、南京虫が心配…。

こういう時は足を使って探すしかありません。

『 GULSHAN COTTAGE 』
  800INR( 1INR≒1.68円。2013/7/18)
 ダブル。エアコン(温度設定できず)。Wi-Fi無し。
 水シャワ―(お湯シャワーと言われたが出ず。クレームを言うと元々ないと言われました)
 窓無し(窓有の部屋もあり)。狭い(広い部屋もあり)。
  ※ お勧めできません!

仮眠を取ろうとしたんですが、そこで虫を発見!
フロントスタッフに聞くと南京虫では無いとのこと。
でもつぶすと沢山の血が…。

ひどくはありませんでしたが、妻が刺されていたようです。
確かに聞いていたような南京虫の刺され方とは違っていましたが、他にも虫がいそうです。
…しまったな。

南京虫は電気を消すと動き出すとのことで、電気をつけて寝ました。

でも南京虫を警戒し過ぎてあまり寝られず…。

しかもエアコンの温度設定ができず、つけると激寒。ファンもあるんですが最弱の設定でも強すぎ。
他の宿を探す気力が無かったのでそのまま滞在しましたが、酷い宿でした。



日中、次の目的地ガヤー(ブッダガヤー)へ移動するため、電車チケットを確認しに旅行代理店へ。

インドはイギリス植民地時代に鉄道網が整備されたためと、国土がとにかく広いので、長距離移動は鉄道が主な交通手段です。
旅行代理店によって請求される料金がかなり違うので代理店めぐり。
ちょうどその時に、日本人のグループと出会い、話をするとマザーハウスでのボランティアをしている方たちでした。
しかも数週間単位の比較的長期のボランティア。
その中の一人Mさんに、明朝マザーハウスへ連れて行ってもらえることになりました。

そして、その人たちが購入していた服屋の店主が信頼できるインド人らしく、電車チケットを扱う代理店を紹介してもらいました。

確かにさっきまで行った他の代理店よりも安い。
ちょうどいい日程のチケットが4日後しかなかったので、これもマザーハウスへ行けと言うことかと思い、そこで購入しました。

7/22(月) コルカタ→ガヤーの鉄道チケット 780INR

今チケットを手配するからまた夕方に来てくれと言われ、受取ったチケットには 520INRと表示してありました。
手数料で260INR。
正規料金で3人分払ってしまったんです。
支払ってしまったものはしょうがない。これがインドだなと割り切るしかないですね。

この時は怒りが湧いてきましたが、日本と違って、代理店のスタッフかその関係者が駅までチケットを買いに行くようなんです。
だから手数料には交通費や手間賃が入っていて、一人あたり、だいたい100INR以上は請求されるんだとか。
ちなみにインターネットで手続きするeチケットも扱っているところもありましたが、これも一人100INRほど請求されました

安く済ませるなら自分で駅に行って購入するのが一番ですが、交通費や労力などを考えると旅行代理店に頼んでしまう方が良いときもありますね。


さて、話は旅行代理店でチケットを探してもらった時に遡って…、

ちょうど私が店主と話していた時、妻がインド人に話しかけられていました。
妻はインド人をかなり警戒していたんですが、この時は勘が働いたのか、チケットを予約した後に、そのインド人B氏についていきました。

彼には日本に20年ほど滞在していた叔父がいて、しかも叔父の奥さんは日本人でぜひ紹介したいとのことでした。
ちなみにこのB氏、日本語はほとんど話せません。
日本語で話しかけてくるインド人はかなり怪しいと聞いていたので、話せなかったのが逆に信頼させたのかもしれません。

全てのインド人と関わらないのもつまらないので、私も付いて行くのもいいかなと思いました。
B氏


案の定、というか、お店に案内されました。
『 COTTAGE CRAFT 』ShopNo53

・・・やっぱり普通の家という訳じゃないんですね。

「何か買え」って言ってくるのかなと少し警戒。

お店に入っても商品の話はほとんどせず、雑談をしているうちに、他のスタッフに依頼しチャイ(日本でいうところの甘いミルクティー)が出されました。
インドではこれが普通だから、と。

確かに、10年前に来た時も、お店ではチャイが無料で出されたりしました。
でも、チャイに睡眠薬を入れる事件も起きています。

ちょうどこの時はラマダンの最中で、イスラム教徒のB氏は日没前は何も口に入れられません。
私たちだけ飲ませられるチャンスです。

チャイを飲みたいけど少し心配している妻。
私が飲んで眠ってしまったら、女性の妻はどうすることもできません。
とりあえず私は飲まずにおくことにしました。

だいぶ時間が経っても、何ともなかったので睡眠薬は入っていないようです。
私の半分を妻に分け、私も少し飲みました。

少し警戒しすぎかもしれませんが、声を掛けられて付いてきてしまったので、インドではこのくらいでちょうどいいような気がします。

1時間以上経ってから、日本に住んでいたという叔父KAN(カンと名乗っていました)氏がやってきました。
ビックリするくらい流暢な日本語を話していました。

日本で滞在していた話、自分のビジネスの話、日本人が滞在しやすい銭湯付のホテルを造りたくて政府に申請している話、インドでお勧めの旅行の話、
…などなど色んな話をしました。

また今滞在している宿のことを話すと、
「友人が経営している500INR程度で泊まれる宿を明日の午前中に紹介しようか」と言ってくれました。
とりあえず今の宿は移動したかったので、Mさんには妻が手紙を書き、明日の件をKAN氏にお願いすることに。
その時に、もし必要だったらインドのツアーを手配できる友人も紹介できるとのこと。

結局このお店には3時間以上滞在したのかな。
夕食もビリヤニを買って来てもらってここで食べました。(もちろんお金は払いました)
シンプルなビリヤニ。中身はご想像におまかせ。


ここには書ききれないくらい、インド初日はディープな出来事が起きました。
さすがインド。
詳細に書きたいけど文才が足りません。

初めて来たコルカタは、特にサダルストリートの辺りは、あまり近代化されていなくて、インドに入るにはちょうどいいのかもしれません。
南京虫さえいなければ…

さて、明日はどうなることやら。

限りなく人の多い喧噪の街コルカタ。

2013年7月17日水曜日

122.(8.22更新) タイ18日目。再びバンコクへ。またやられた~、からのインド・コルカタへ出発


チェンマイからの長距離バスは深夜に一度休憩が入りました。
バスチケットを見せると、食事もしくはジュース1本がもらえる方式でした。
これも旅行代理店での事前説明は無く、バスの運転手はやはり英語を全く話せなかったので理解できたのはかなり時間が経ってから。
タイ料理を食べたかったけど時間が心配でジュースにしたんですが、案の定、そのすぐ後に出発しました。
英語が通じないって本当に不便ですね。
サービスの最高に良い日本も、この点だけは海外旅行者にとって不便だろうなぁ。

30代になり、バス移動がきつくなってきたようです。
20代はリクライニングのあまり利かないバスでも結構寝れたりしたんですが、あまり深く眠れなくなりました。
あと、20代はあまり眠れなくてもその後ほとんど問題なかったですが、今はシンドイですね。
自分たちの体力を考えないと、また免疫力とか低下してしまいそうです。

なんて考えながらウトウトしていたら、車内がざわつき始めました。

どうやら着いて、降り始めている様子。


あれ、到着時刻は6時頃って聞いてたけど、まだ4時台だぞ…


降ろされた先はバンコク・カオサン通りではなく、そこからかなり離れた場所。

何人かの旅行者が運転手やスタッフに問い詰めだしました。
でもタイ人のスタッフたちは英語を話せません。
「I don't know」
の一点張り。

そして、英語を話せるタイ人が現れたと思ったらタクシー運転手。
「カオサンまでなら乗せてやる」と言いつつ、1人100THBとおそらくかなり高い金額を吹っ掛けてきます。
(1THBは現在約3.2円)


またやられた~

旅行者に便利な場所が到着地と言われたけど、そこからかなり遠いところに降ろされ、バス会社とグルになっているタクシー会社(個人?)が勧誘してくる…
常套手段ですね。

バスチケットは乗る時に回収されてしまったし、
購入した旅行代理店に問合せようと思っても電話も持ってないし、
問合せたとしても今は開店までは早すぎるし、
たとえ繋がったとしても99%「I don't know」。
チェンマイまで戻るのは不可能だし。

旅行代理店もグルかもしれないな。
お店のスタッフの人は体調を気遣ってくれたりと親切そうだっただけに余計に残念です。


そうこうしている間に、欧米人の女性とタイ人スタッフの口論はエキサイトしていました。

その気持ち分かる!
本当に腹が立ちます。
でも、ここはタイ。本当にどうにもならないんですよね。

こういう、いい加減でうっとうしい対応があるから、東南アジアの旅はしこりが残りやすい。


ちなみに同時期に移動した友人2人ともが言われた場所に降ろされなかったと言っていました。
1組はカオサン通りに頑張って歩いて行ける場所で良かったけれど、もう1人は『カオサン』の看板はあったけど、カオサン通りまで100kmくらい離れた場所に降ろされたと言っていました。

私たちは、同乗していたタイ慣れした日本人に声を掛けてもらい、流しのタクシーをつかまえて移動しました。
メータータクシーで1台130THB
場所が分からなかったので本当に助かりました。


朝帰りや朝着の旅行者がチラホラ
カオサン通りに着いたはいいけど、まだ朝の5時台…。
かなり早すぎます。
それに大きな荷物を抱えているし。
妻も私もバス内ではあまり寝られなかったので、日中だけでもホテルで休もうかと話していました。

その時、ちょうどラオスのルアンパバーンで分かれたK君にばったり会いました。
この彼がカオサン通りから100kmのところに降ろされた人。
ラオスから長距離バスで移動してきて、降ろされたところからバイクタクシーで移動したばっかりとのことでした。

今から今日の滞在先の『 NAT2 』に行くとのことで、私たちも付いていきました。
そこにはチェンマイまで一緒にいた私と同名のKさんとIちゃんもいました。彼らもちょうど今朝着いたばかり。

私たちは日中だけの滞在だから宿泊費は安くならないかと交渉しましたが駄目とのことで、他の宿も当たってみたんですがどこも1日丸ごと請求されてしまいました。
連泊での割引は交渉できるんですが、こういう数時間だけという滞在は交渉できないんですね。

以前に旅をした仲間に、この時と、出発直前に会えて本当に良かった。
また世界のどこかで会おう!



さて、私たちは今夜のフライトのために英気を養わなければなりません。
以前宿泊した『 First GuestHouse 』に1泊分(300THB)の料金を払い、とりあえず休憩。

今回のフライトは深夜出発の『Air asia』、インド/コルカタ行きです。
カオサンからはエアポートタクシーやエアポートバスがありましたが、どれも値が張るので公共交通機関のバスを利用しました。

カオサン通りからドンムアン空港までは59番のバスです。

バスは車体の色によってグレードが違います。
私たちは一番早くバス停に停まったオレンジ色のエアコンバスに乗りました。
1時間ほどで空港のすぐそばのバス停に着き、一人23THB
エアポートバスでも一人150THBだったので少し節約できました。
バス待ちの光景。どこがバス停か分かりません
エアコンバスは内装もとてもキレイで快適でした。
エアポート駅のすぐ近くで下車。こんなのもあって便利!
久しぶりに利用する空港は近代的で、私たちはおのぼりさんのようでした(笑)


日付が変わって1時から、いよいよアジア最後の国インドへ移動です。
インドへのフライトの到着地はコルカタ。

実は私たち2人とも、コルカタには少しビビり気味でした。
何故かというと、ただでさえ色んな大変な話の多いインドで、更にコルカタはどの宿に泊まっても『南京虫』がいるという話を聞いていたからです。


『 南京虫 』って知っていますか?


正式名:トコジラミ

旅行者泣かせのこの虫、大きいダニなんですが、
ただ血を吸われたところが痒くなるどころか、この南京虫が歩いた跡全てが痒くなり、
医者に行って薬を処方されても、1週間は痒くてロクに眠れず、1か月痒みに悩まされると言われています。
しかも歩いた跡なので、数十か所とか、すっごく多いんだとか。

コルカタはできたら早く抜けて他の土地へ移動しようか、
でもコルカタでの電車チケットは取りにくくて、その日の移動は難しそうだなと考えながら空港の出発ロビーへ行くと一人の日本人A君に出会いました。

彼は美容師で、ふとしたキッカケでマザーテレサのことを知り、マザーハウスのボランティアに行くために休みを調整して4泊5日の弾丸でコルカタに行くとのことでした。
移動で1日ずつかかるので、インドにいられるのは実質2日間。
美容師は休みを取りにくいけどどうしても行ってみたいと。

実は(2度目。笑)、私たちもマザーハウスでのボランティアはすっごく気になっていました。
マザーハウスとはマザーテレサ(カトリック教会の修道女。修道会『神の愛の宣教者会』創立者)が活動していた建物。そしてマザーの没後も活動が続けられている場所です。

彼の熱意に影響され、どうせコルカタに滞在しなければならないしと、私たちもマザーハウスに行ってみようとこの時に決めました。
彼からボランティアをするための情報をもらい、出発時間が来たのでいざ搭乗です。
今回もAirAsia

さよならタイ王国!