2013年7月24日水曜日

127.(9.10更新) インド6日目から。ブッダガヤの日本寺とマハボディ寺院


ブッダガヤーにはチベットやタイなど、仏教が盛んな国が各国のお寺を立てています。
もちろん日本のお寺も。
印度山日本寺 』という仏教の宗派を超えて建てられたお寺があります。

私は前回のインド旅で、サールナートという場所に行った時にそこにある日本のお寺で、一緒に読経をさせていただきました。
その体験がとても良く、ここでもできないかと調べると坐禅ができるとのこと。

近くに宿坊もあるとのことだったので、修行体験もできるのかと思って行ってみました。

インドには『 ヴィパッサナ瞑想 』という、10日間、外の世界とは一切関係を発って瞑想し続けるものがあります。
興味はあったんですが、妻はさすがに10日間も瞑想だけは厳しいということで止めました。
なのでどこかで瞑想などを少しだけでも出来たらいいなと思っていたんです。

宿坊は、『 仏心寺 』というお寺のものでした。
ここの住職さんが数週間前に日本に帰られたということで詳細は分かりませんでしたが、今は宿坊に泊まっている人もいませんでした。
宿坊自体はゲストハウスの様で、ダブルルームで500INR(1INR≒1.68円)
安いと思っていたんですが、今滞在している宿の2倍でした(苦笑)
今回はご縁が無かったですね。
道路に出ていた仏心寺の案内看板
本堂
宿坊



肝心の日本寺は、厳かな雰囲気でとても気持ちが落ち着きました。


夕方5時に若い日本人の住職さんが表れてお経を読み始めます。
坐禅参加者は基本的にはそのお経の時間は座っています。
読経の冊子があったので、私はそれを見たり、たまに雰囲気だけでもと、一緒に読んだりしていました。
読経は20分ほど。
その後、住職さんが坐禅の説明をしてくれて、一緒に坐禅します。

住職さんが坐禅指導
お経の冊子。日本語と英語

坐禅は20分ほど。

・・・ はい、眠りました。

なんであんなに気持良く、眠りに落ちれるのかわからないんですが、坐禅をすると気持よく眠れます。
しかも短時間でもスッキリ(笑)
次の日も来れたんですが、この日も寝てしまいました。


坐禅が終わると、表に出て参加した日本人や住職さんと話をしました。
住職はなんと26歳。
修行していたお寺の住職が日本寺建立の中心人物で御縁を感じたとのことでした。
数年前、インドでバックパッカーをしたようです。
任期は2年。今は半年が過ぎたところなので、まだしばらくはこのお寺にいるようです。
赴任希望は任意なので、住職が複数人いるときや、不在の時もあるとのこと。
お逢いできて良かったです。


ブッダガヤーの一番有名な場所は、マハボディ寺院。
ブッダが菩提樹の樹の下で悟りを開いた場所です。
その後の紀元前3世紀にアショーカ王が寺院を建てました。

ブッダガヤーについて3日目にやっとここへ来ました。
街の中心部にあるんですが、2日目も3日目もここを通り過ぎて日本寺へ。
3日目の夕方、日本寺での坐禅を終えて行きました。

実は、先月末頃、このマハボディ寺院や近くの大仏などいくつかの場所に爆弾が仕掛けられました。
爆弾テロとして大きなニュースにもなりました。
被害は大きくなかったんですが、警備が厳重になりました。

そのため、マハボディ寺院の中にはカメラなど電子機器の類は持ち込めなくなりました。

マハボディ寺院の入り口付近にはびっしりと屋台が出ていたんですが、それもかなり規制されていて、時々、警察と店主が言い争いをしていました。

写真が撮れなかったのは凄く残念でしたが、初めて入ったマハボディ寺院はとても神聖な雰囲気でした。

敷地内には菩提樹以外にも木や沢山の祠があり、色々な場所で祈りが奉げられていました。


たまたまお祈りの時間に着いたので、寺院の中心部では沢山の僧侶がお経をあげていました。
コルカタのマザーハウスのミサの時も感じましたが、たくさんの人たちが祈る姿にはものすごいエネルギーを感じました。

個人に重点が置かれた世の中で、忙しく自分のことばかりを考えていた生活を振り返ると、祈りを奉げている人達の姿にとても尊いものを感じました。


寺院の入り口のちょうど反対側に菩提樹があります。
さすがにお釈迦様が悟りを開いた時の菩提樹ではありませんが、その所縁があるようです。
庭に落ちている葉っぱをお守りに持って帰る人もいました。

この菩提樹周辺でもたくさんの人が祈っていました。
袈裟を来ている人はもちろん、そうでない人たちも。



インドでは仏教はヒンドゥ教に取り込まれているようです。
釈迦はビシュヌ神の化身なんだとか。
初めは驚きましたが、日本もある意味、神道の中に仏教を取り込んだようなものかなと、少し納得。
(仏教は仏教で、ヒンドゥ教の神様を取り込んでいるようです。)
なのでヒンドゥ教の人たちもたくさん来ていました。
ものすごく大勢の人たちがオレンジや黄色の服を着ていたので、何かわからなかった私たちは「オレンジマン」と呼んでいました。男性しか着ていなかったので。



帰る頃にはすっかり暗くなり、ライトアップされてました

日本のお寺とは似ても似つかないマハボディ寺院。

日本は中国から仏教を輸入しました。
日本でも独自の取り入れ方や考え方をされ、現在はたくさんの宗派があります。

でも多くの人はお経をあげられません。
文明が進んだから宗教に頼らなくてよくなったのももちろんあるでしょう。
でも、お経が中国の読み方そのままで、読みにくいし理解しにくいっていうのも大きな理由ではないかなとも思います。

まず言葉自体が身近ではないんですよね。

ここに来たら、なんだか単純に、お経っていうものをあげたくなりました。

日本のエライ人たちが集まって、日本語のお経を作ってくれないかなぁ・・・

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