さて、今日も朝が来ました。
5:15起床です。
日本との時差は30分早いので、日本時間では4:45です。
天気予報では本日は雨でしたが、目が覚めると満天の星空が広がっていました。
みんな朝の準備がけっこう早い。
僕らも慌てて寝袋をしまい、Swagをたたみます。
出発準備が整ったら、ウルルと一緒に朝日を見るツアーへ出発です。
昨日と同じ場所に着くと、すでに薄明るくなってきました。
Jakeが用意してくれた朝食が置いてある机に集まり、パンを焼いたり、コーヒーを炒れたりします。
ちなみに朝食は、パン・マーガリンやジャム・シリアル・ヨーグルト・缶詰フルーツ・牛乳・お湯・コーヒーの粉・紅茶パック、という感じです。
ガスコンロにピラミッドに穴が開いてあるよな物を置き、その上にパンを置いて焼きます。混んでいたので私はそのままで。
写真を撮りつつ、朝食を食べつつ
さて、朝食が終わると、いよいよウルルへと向かいます。
今日は体力に応じて10キロ、6キロ、3キロの3つのコースに分かれ、ウルルの周りを歩きます。
akeがそれぞれのスタート地点で下してくれました。
バスでウルルに向かう途中、一昨日パンク修理で活躍したアメリカ人Clydeが中心となって、指をGoodのようにして合図し合い、何やらひそひそと話始めました。
実はこの3キロのコースのスタート地点はウルルへ登れる場所なんです。
ウルルはアボリジニ達の聖地です。
昨日ウルルへ来る前に、アボリジニの民俗館へ行った時に、「ウルルへは登らないでください」というメッセージを見たり、
また、ウルルへ来た時にも、Jakeが「私はウルルへは登ったことはないし、今後も登ることはない」とはっきりと言っていました。
だから、このツアーでは、そしておそらくどのツアーでも、ウルルへ登ることは、あまり推奨されませんし、むしろあまり登ってはいけないというムードが漂っています。
昨夜もウルルへ登る登らないで議論し合っている人達がいました。
それでも、私は登りたい。
そしてこのツアーは私たち夫婦を含めて、8名が登りたい気持ちを持っていました。
なので、指で合図を取っていたんです。
どのような行程で登れるのかわからず、ウルル周りをハイキングしてから登るのかと思っていました。
英語ができないと、詳細な情報を聞き漏らすことも多くて困ります。
なんとか意味を理解し、Jakeが最後におろしてくれた3キロコースのスタート地点までバスに乗り、目的地へと着きました。
天気は晴れ。
ウルルへ登っている人たちが見えました。
バスを降りる時に、Jakeから「ウルルへは登らないよね?(元々の)2つの滝へ行ってください」と念を押されましたが、私達の心は決まっていました。
少し向かい風が強かったけれど、私たちの足取りは軽くかったです。
ひとまず登山ゲートを超え、バスが見えなくなるところまで歩いてから、登山ゲートまで戻ろうとしたその時でした。
ゲートがざわつき始めました。
スタッフらしき人が、何やら話しています。
そしてなんと、ゲートが閉じられていました!
Clydeが一生懸命、スタッフに問い詰めました。
そしてスタッフの回答は
「山頂が強風のため、登山が禁止になった」
の一点張りでした。
2時間起きに山頂のデータが出て、それにより登山可能かが判断されるようです。
確かに強風の時は登山ができなくなるとは聞いていましたが、まさかこんなタイミングで禁止されるとは思ってもいなかったし、
まさに数分前には入っていった人がいるのに、その時点から少しの猶予もなく、一切禁止になるのは信じられませんでした。
Clydeはもちろん、私たちも抗議というか、お願いをしました。
それでも、そのスタッフは「No」の一点張り。
私たちは呆然と立ち尽くし、すでにゲートをくぐった人たちを羨望の目でしばらく眺めていました。
Clydeは落ち込みを露わにし、「みんなを登れなくさせたのは自分のせいだ」と自分を責めていました。
それを恋人が慰め、私たちもお互いに声を掛け合いました。
それでも、このツアーの最大の目的であっただろう、そしてオーストラリア最大の目的であっただろう、ウルル登山ができなくなった事実は、仲間も私も受け止めがたく、
夢にまで見たウルルへ登れなくなった、あのたった2~3分での出来事はいつまでも忘れることはできないと思います。
実はこの時、仲間の一人が見当たりませんでした。
デンマーク人の若干19歳のイケメンSimon君です。
この時、彼だけはさっさと登山ゲートを通過し、登山を開始していました。
そして、1時間半ほどして、意気揚々と下山してくる時にちょうど出会いました。
「周りを見ず、とにかく自分のやりたいことをやる」
こういう姿勢が必要な時があることを改めて学んだし、
たった一度の人生において、それがめちゃくちゃ大切なことを、
もう二度と来ることのできないかもしれないウルルで痛感しました。
きっと何気なく過ごしている一日ももちろん大事だと思いますが、
人生にはやらなきゃならない時があり、条件がそろっていないとスタート地点にも立てない時があります。
その時に決断できるように、日々の生活での決断力を、自分は全然養えていませんでした。
皆さんはどうですか?
ウルルを背にし、敗北感いっぱいでバスに乗り込む前に、実はウルルで夫婦喧嘩が起こりました。
お互いの思いやりのなさと、日ごろの擦れ違いが溜まった結果の出来事でした。
ハイキングで疲れている人達とウルル登山ができなくて落ち込んでいる人達が多かったので、
夫婦で会話がなく、そっぽを向いた状態でいても、そっとしておいてもらえたので助かりました。
ツアーの終わりは2種類あり、エアーズロックに近い空港で分かれる人が3名いました。
Clydeカップルとオーストラリア人の女の子の3人です。
固く握手し、これからもコンタクトを取ろうと約束して別れました。
昼食は、ハイウェイ脇の小さなパーキングで取りました。
昨日と同じ料理です。
ハエが大量にタカってくる中で、払いのけながら急いで食べました。
Jakeが道路の反対の砂地を指し、「あそこへ登るといいものが見られるよ」と言いました。
食べ終えて行ってみると、遠くに巨大な塩湖が見えました。
中国人のWilliamが
「このツアーのパンフレットで、塩湖で写真を撮っているのを見た。時間がないけど、俺らも走って行こう!」
と熱く言い出しました。
走って行っても結構かかるかもしれませんし、たどり着けるか分かりません。
まだまだ解散地点のアリススプリングスまでは距離があります。
食事もとったので、残された時間はあまりありません。
しかし迷っている時間はありません。
ウルルで苦い経験をした彼と私と韓国人Kimはすぐに走り始めました。
砂漠の砂に足を取られながらも、絶対に辿り着いて間近で見てやるんだと言わんばかりに走り続けました。
そして、思ったよりも時間はかかってしまいましたが塩湖までたどり着きました。
写真を撮り、塩湖を舐めました。
言い出しっぺのWilliamと。 |
思ったよりも塩は少なく、砂地にまだらに塩が固まっており、中心部まで行けばもっと良い光景が見られるのかもしれませんでしたが、タイムリミットは過ぎていました。
また、帰りも灼熱の砂地を走り続けます。
思い通りの光景を見れなくても、それは行動したからこそ分かったこと。
そういう満足感を抱いて走り続けました。
遠くでフランス人の女の子Laureが叫んでいました。
心配してずっと待っていてくれていたようです。
帰り道、ようやくアリススプリングスの街へ入ってきました。
今夜はツアーを主催する会社が経営するバーで食事会がオプションで企画されていました。
ほとんどのメンバーが参加予定で、喧嘩している私たち夫婦も参加することにしました。
YHAで降ろしてもらいチェックインし、シャワーを浴びて、一緒に泊まっていたWilliamカップルと一緒に出掛けました。
この時初めて分かったんですが、彼はまだ25歳で、難関を潜り抜けオーストラリアの奨学制度を受け、地球温暖化対策の研究者としてこの国にいました。
そしてその彼女はかなり優良な日本企業の北京支社で働いていたけれど、Williamに呼ばれて仕事を辞め、こちらで働きながら専門学校でも勉強をしているという努力家でした。
色々な国の話を聞いていると、世界がすごく広がります。
一度きりの人生をどう生きるか
幸い、考える時間はまだあるので、じっくりと向き合っていこうと思った夜でした。
そして、お疲れ様会の後、宿への帰り道、夫婦で2時間くらいじっくり話し会い、少しだけ夫婦らしくなれたことも、この夜の思い出です。
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