2013年7月31日水曜日

130.(9.28更新) インド13日目。バラナシのマザーベイビィスクール


バラナシでは妻が一か所行きたいと言っていた場所がありました。

それは『マザーベイビィスクール』

妻が世界一周に興味を持ったきっかけになった高橋歩さんという方が、仲間や協力者たちと一緒になって、バラナシのガンジス川近くに建てたフリースクールです。
ガートはガンジス川の片側が有名で、観光者はもちろん巡礼者もそちら側を訪れます。
対岸は不浄とされており、カーストの身分が低い人たちが暮らしています。
そこに『マザーベイビィスクール』はあります。


実はここに行く前に、インドらしいエピソードがありました。

まず、バラナシについて2日目に街中を歩いていると、コルカタのマザーハウスで一緒にボランティアをしたMさん親子と偶然再会しました。
その方たちは、親切なインド人の青年A氏に色々なところを案内してもらっていて、ちょうど次の日に移動予定でした。
その日にA氏が立ち上げに参加し中心になって活動しているボランティア施設に行くところで、送迎の車が来るから待っているとのこと。
名前を聞いたら『マザーベイビィスクール』でした。

私たちも参加できるか聞いたんですが、その日は人が多すぎるので、また明日にしてほしいと言われ、時間と送迎場所を教えてもらいました。
車番や日本人スタッフの名前も教えてもらいました。

そしてその日の夜、宿泊先の宿に私たちを訪ねてくれた人がいて、なんと当の『マザーベイビィスクール』の女性スタッフHさんでした。

Hさん曰く、私たちが昼間会ったMさん親子は結局ボランティアに行けず、不審に思ってバラナシの事務局へ連絡を取ったところ今回の件が偽物だったと分かったとのことでした。
それで私たちの宿泊先も伝えてくれたため、わざわざ来てくれたようです。

危うく、私たちも厄介事に巻き込まれるかもしれませんでした。
そのMさん親子も事件に巻き込まれることなく無事に旅を続けています。


Hさんから、「学校は明日は休みで明後日からです」と言われ、ちょうど寝台列車を使っての移動だったため本日参加することができました。


縁は異なもの味なもの、ですね。


早朝にHさんたちの滞在しているホテルに集合。
今日の参加者は私たちを含めて8名。
道に出て、トゥクトゥク2台に乗り合って移動します。

結構な距離。
橋を越えて、今までいた対岸まで。
私たちの目にはカーストや生活するうえでの束縛は分かりません。
そこには今までよりもゆったりした空間で当たり前の日常が繰り広げられていました。
むしろ、ゴミゴミしていない分、対岸よりも豊かなようにも思えました。


そんな中に、民家の一角に『マザーベイビィスクール』は建っていました。
まだ授業が始まっておらず、集まっていた子どもたちが元気に遊んでいました。

スタッフのHさんとMさんから説明を受け、いよいよボランティア開始です。
といっても、基本は子どもたちと遊んだり、授業を観察したりです。

国語(ヒンディ語)、算数、英語の授業があり、最後に工作や、申し出があればボランティアがやりたいことを伝えたり見せられる時間があります。
授業中は子どもたちの集中のため撮影禁止。
真面目に取り組んでる子、おちゃらけるのが好きな子、先生やスタッフと話しまくる子、いろんな子がいます。


今回はボランティアの一人に少林寺拳法をやっている青年N君がいて、最後の時間に演武を見せることになりました。
(私も大学から始めました)
演武は、少林寺拳法の技などを披露するためのもので、今回は2人で闘いのような形で披露しました。
闘いといっても、本当にやるのではなく、予めどう動くかを決めておきます。

2時間目が終わった後にお昼ご飯になり、その時に急きょ決まったので、その後、急いで打ち合わせて練習しました。

久しぶりに食べる日本の味のカレーは美味しかった~

練習はスクールの屋上で。
炎天下の中、頑張ります。

N君は幼稚園の時から少林寺拳法を始めて、大学を卒業してもずっと続けていて、すごく動きが早い!
私は10年ぶりくらいかな…(^.^;)
ちなみにN君も世界一周をしていて、あちこちの国で、一人演武をしたり、書のパフォーマンスをしたりしているようです。

3時間目が終わり、いよいよ披露する時間。

けっこう失敗もしましたが(笑)、楽しくすることができました(^-^)

その後はみんなで技を練習したり(笑)

まさか旅中に、それもインドで演武をするとは思いませんでした。
マザーベイビィスクールとN君、学校のみんなに感謝です。

それに少林寺拳法をやってて本当に良かった。
芸は身を助ける!?
言葉が分からなくても、身体ですぐに伝わりました。

楽しい時間はあっという間に過ぎていき、別れを惜しみつつ学校を後にしました。


夕方、今日のボランティア仲間と再会して、ターリー(定食)が無料で振る舞われるという食堂へ行きました。
ヒンドゥ教の施しの文化らしいです。
毎日ではないですが、週に3日、夕方からあるんだとか。
全てのお店ではないんですが、私たちが行ったところは2店舗が隣り合って、客引きまでしていました。
そして本当に無料でした。
クオリティも普通のターリーと変わりありません。
もっと早く知ってたらなぁ。


今日の移動はムガルサライ駅に23:09発、タージマハルのあるアーグラに7:25着の鉄道です。
バラナシからの移動はあまり夜遅くならない方が良いと聞いたため、かなり余裕をもって移動開始。
夜遅くなるとトゥクトゥクも料金を吹っ掛けてきますし。

今回は、夜間の移動ということで3等エアコン席を確保しました。
これも旅行代理店で手配したためかなり吹っ掛けられました。
今は大きなお祭りの時期で席が確保できないため、賄賂を渡して優先的にキャンセルの席を取るんだとか。「本当か!?」と思いましたが、駅に行くにしてもトゥクトゥクで往復するとけっこうかかるので手配してしまいました。
賄賂として300INR。
さらに手数料として100INR(これは普通くらいです)
チケット自体も実際は815INRのことろを実際に確認したら850INRだったし。
ま、こんな時は、日本円に換算して、安いからいいかと思うしかないですね。

鉄道A3クラスチケット ムガルサライ-アーグラー 1225INR

明日はタージマハルのあるアーグラへ!

2013年7月30日火曜日

129.(9.16更新) インド9日目から。2度目のバラナシ。2度目のサールナート


インドの鉄道は難しい。

電光掲示板にプラットフォームの番号が書かれていても、数分前に変更され、別のプラットフォームに着くことも珍しくありません。

一度、そんなことを知らない私たちは、早めに着いて座席を探しても全然見つけられず、危うく乗り過ごしそうになりました。
駅員はほとんどおらず、プラットフォームも多く、車両が多くて長く、英語を話せる人もほとんどいない。
インドで鉄道をそういうことを覚悟しておいてから利用した方が良いです。

さらに現地の旅行代理店などでチケットを手配する時は、手数料や偽のチケットなど、その他もろもろのことにも当然気をつけなければいけません。
これがキップです。結構大きい

次の目的地は「バラナシ(ワーラーナシー)」

駅にオレンジの服を着た人がたくさんいて、何かと思っていたんですが、8月の頭からヒンドゥ教のお祭りがあって、たくさんのインド人がガンジス川を目指すと後で教えてもらいました。
お祭りの期間、ヒンドゥ教徒は自由席の鉄道が無料らしいです。
ただでさえ人でごった返す車内は、更に乗車率が上がって大変でした。


今回26日のガヤーからバラナシへの移動はちょうどいい時間帯が無かったため、バラナシに近い「ムガルサライ」という駅まで鉄道、それ以降はトゥクトゥクで移動しました。

鉄道:ガヤー-ムガルサライ 2等 一人165 INR(1INR≒1.68円)。
トゥクトゥク:ムガルサライ-バラナシ 200 INR

ムガルサライに着いたのが17時過ぎで、トゥクトゥクと交渉したり、そこから1時間くらいかかったりしたので、バラナシに着いた時にはすっかり日が暮れていました。


前回、バラナシに来たのはもう11年前。
断片的にしか覚えていません。

お祭りがあるせいか、ものすごい人でごった返していました。
宿や物売りの客引きも引っ切り無しに声を掛けてきます。
宿の客引きはとにかくしつこいし、勝手を知っているため、先回りされて面倒でした。

そんな中、オフライオン地図アプリとガイドブックとを頼りに1件の宿に着きました。
利用者の情報ノートにたくさんの感想が書いてあり、良さそうだったのと疲れていたのとで即決。

 『 Friend's Guest House 』
  400 INR
 ダブル。ホットシャワー(お湯利用の15分前にフロントに連絡)。Wi-Fi有り(遅い)。


今回はバラナシらしいところに泊まれました。
細い路地。
沢山のお店、物乞い、牛、犬、臭い、ゴミ、ゴミ、喧噪、人人人人・・・・

ガンジス川の沐浴は今回見送りました。
前回は泳ぎこそしなかったけれど川の中に入りました。
でも、ガンジス川に入って体調を崩している人は大勢います。
一人旅ではない今回は、妻に迷惑を掛けるわけにはいかないし、一度体験しているので。

でもガートには何度も行きました。
「ガート」とは川岸に設置された広い階段上のちょっとした広場のようなもので。市民や巡礼者の沐浴の場であったり、洗濯場のほか、日常生活の場所でもあります。
宿から近かった有名なダシャーシュヴァメーダ・ガートや火葬場でもあるマニカルニカー・ガートなど。
ガート自体が観光地でもあるので、観光者をターゲットにした犯罪まがいのことも起きています。
死者が火葬されるマニカルニカーは特に有名でそれゆえ事件も多いので、行かれる人はよく注意してください。
老人と少女
昼間っからカードゲームに興じる男たち

ちょうどお祭りと重なっていたため、本当にたくさんのヒンドゥ教徒が沐浴に来ていました。
バラナシの黄金寺院のご神体にガンジス川の水をかけるとご利益があるということで、瓶に水を入れに来る人もたくさんいて、また黄金寺院に入るための長蛇の列がメインの通りまでできていました。

またガートでは朝夕に祈りの儀式「プージャー」というものがやっています。
「プージャー」は、サンスクリット語で「供養」という意味があるらしく、ヒンドゥ教の神にささげられる祈りの踊りのようなものでした。
これも黒山の人だかり。
これが毎日あるなんて、さすがバラナシ。



29日には、これまた以前訪れたことのあるサールナートに行ってきました。

お祭りの影響で宿周辺では交通規制がされていて、トゥクトゥクを捕まえるのに苦労しましたし、料金も通常よりも高くなってしまいました。
(トゥクトゥク サールナート往復で600INR。通常400~500くらいだと思います)

ここではトゥーパが有名です。
トゥーパとは塔という意味で、ダメークストゥーパというブッダの骨が納められているモニュメントパークがあります。
ここの入場料は一人100INR。ちなみにインド人は5INRです。


今回の私のメインはここではなく、サールナートの日本寺『日月山法輪寺』です。
以前はインドのバラナシからネパールへ移動し、ネパールから戻ってきた時にここに立ち寄りました。
その時の和尚さんとの出会いが衝撃的で、たくさん話したわけではないんですが、ずっと心に残っていました。

17時からの勤行に間に合うように行きました。
もう10年以上も経っていたので当時の和尚さんはいないようでしたが、昔を思い出せた良い時間でした。

そして勤行後に住職と話をすると、
 私が以前お逢いした和尚さんは、ここにずっといた方ではなく一時的な方だった。
 ずっといた方は私が訪れた前後に無くなっていた。(お逢いした方はその当時に臨時で来られていたかも?)
 住職は生粋のインド人で、子どものころからお寺で暮らしていたので日本語が堪能。
 しばらく日本人の住職は来られてなく、そういう時はこの方が勤行をする。

住職は見た目が日本人そっくりで、私たちは全く勘違いしていました。

住職も素敵な方だったし、何にしても思い出の場所に再訪できてすごく嬉しかったです。

2013年7月27日土曜日

128.(9.16更新) インド8日目から。ブッダゆかりの地へ


トゥクトゥクドライバーと交渉して、ブッダが悟りを啓く前に修行していた覚山、ブッダが苦行から帰ってきたときに父粥供養をしたスジャータを祭った寺院、日本人に“トトロの樹”として有名なバールの樹へ行ってきました。
全部巡って300INR(1INR≒1.68円)

最初は倍以上吹っ掛けられました。
特に今はローシーズンで観光客がいないため、一台と交渉していると、他のトゥクトゥクドライバーが次から次へとやってきます。
根気よく交渉しなければなりません。


天気にも恵まれ、前正覚山への道はとても景色が良かったです。…、最初は。

途中から道がアスファルトではなくなり、ものすごいデコボコ道。しかも細い。
トゥクトゥクにはサスペンションはありません。
ものすごくお尻が痛い。。。
天井も低く、頭をぶつけないように気をつけます。
田舎道は上下左右に揺られまくるのでしっかり持っていないと危険です。
それでも時々ものすごい衝撃がやってきます。

小さな村を通る時は、道幅が狭く、人はもちろん、放し飼いの牛に何度もぶつかりそうになりました。
正面衝突じゃなくて、左右に揺られる時にですよ。
ものすごく傾くんです(笑)

遊園地なんで目じゃないアトラクションでした!
写真撮る余裕が全然ありませんでした。


前正覚山に着くと、事前情報通り、たくさんの物乞いの子どもたちがやってきたり、大人が道で手を出していたり。

紀元前にブッダが悟った時から、どのくらい環境は変わったんでしょうか。


何度断ってもめげずに喰らいついてくる子どもたちを躱しながら、緩い山道を登ると、1件だけ建物がありました。

お坊さんなのか分かりませんでしたが、おじさんが手招きして、ブッダが修行した洞窟へ案内してくれました。
ここで来る日も来る日も苦行に明け暮れたんですね。

中にはブッダの金の像が。
歴史か何かの教科書に載っていたのがこれだったっけな。
左が祠。右はチベット仏教の御堂
入り口。昔は洞窟


ここではトゥクトゥクの駐車場代が必要でした。
最初の交渉で全て含めての金額だったはずが、やっぱり、というか駐車場代を請求されました。
たった20INRのことなんですが、そのやり方に腹が立ち、きっちり確認して最初の通りになりました。
こういうちょっとしたことで、インド人に対しての不信感を誰もが持つようになってしまうと思うのにな…。


続いてはスジャータ寺院

かなり辺鄙な場所にありました。
個人で行くのは難しいですね。

ここはあっさり通過。


続いては「日本人に人気」とガイドブックにも書いてあるバールの樹


…が、着きません。

最初に案内されたところは古墳のような場所。
ここも何かの名所なのかもしれませんが、私たちには分かりません。

すると1台のバイクが。
インド人男性が話しかけてきます。
その人は場所を知っていました。
道は狭くてトゥクトゥクでは行けないから、ガソリン代だけで連れて行ってやるとのこと。

この男、トゥクトゥクドライバーとグルか!?

ガイドブックに載るくらい何人もの人がバールの樹へは行っています。
トゥクトゥクで行けないならその注意書きが書いてあるはず。

追加料金を払うつもりは全くなかったので、ドライバーに場所を確認してもらい、探しに行きました。

 そして少し迷いました。


地元の人がいたのでその人に聞き、何とかたどり着けました。
やっぱりトゥクトゥクで行けました。

このすぐ近くに村がありその脇を通ったんですが、また子どもたちが「マニーマニー」と付いてきます。

前正覚山の子どもたちと同じように、お金を要求するのが当たり前になってしまっているんですね。

大きなバールの樹に自然の力強さを感じながら、人間であるが故の難しさと、ある意味で人間の強さとを痛感させられていました。


 帰り道、河原に象がいました。何故かは不明。



翌日26日の朝、宿の外に出るとたくさんの瓦礫が道の真ん中に積まれていました。

マハボディ寺院の爆弾テロ後に屋台がたくさん壊され、その瓦礫が建築資材として運ばれてきたようです。

それも道の真ん中に。




ブッダガヤー最終日にもう一度、マハボディ寺院へ訪れました。
やはりカメラ等の電子機器は一切持ち込み禁止。

それどころか、寺院の周りには警察が集団でいたるところにいて物々しい雰囲気。
建物だったものが壊され続け、瓦礫がどんどんと運び出されています。
相変わらず人は多いですが
大きな建物が丸ごと壊されていました
物々しい雰囲気

そんな中でも、マハボディ寺院は変わらずに有りつづけていました。


停電がとにかく多かった街、ブッダガヤー。
この街で唯一おすすめできるレストランを最終日に見つけました。

 『 LOTUS RESTAURANT 』

私たちは基本的に低料金のレストランにしか行っていません。
そこの店員にサービス精神を求めるのは酷かもしれませんが、このお店の店主はその中でも対応がとても丁寧でした。
もちろん値段もバックパッカー向け。
一品料理で40~60INRです。
場所は『FUJIYA GREEN RESTAURANT』のすぐ近くです。


そんなこんなで、色々と考えさせられることの多かったブッダガヤーを後にします。